正倉院宝物は、聖武天皇の御遺愛品が東大寺の大仏に捧げられたことに始まります。献納された品々は調度品、楽器、遊戯具など多彩です。本章では正倉院宝物の中から様々な工芸技法によって美しく装飾された「螺鈿紫檀五絃琵琶」をはじめとする楽器類の模造をご紹介いたします。また、大仏開眼会の際に演じられた伎楽の面や衣装などの模造も展示されます。鮮やかな色彩でよみがえった天平の精華をご覧ください。
※ 会場によって一部出品作品が異なります。
※ 会場によって展示替えを行う場合があります。
正倉院宝物は、聖武天皇の御遺愛品が東大寺の大仏に捧げられたことに始まります。献納された品々は調度品、楽器、遊戯具など多彩です。本章では正倉院宝物の中から様々な工芸技法によって美しく装飾された「螺鈿紫檀五絃琵琶」をはじめとする楽器類の模造をご紹介いたします。また、大仏開眼会の際に演じられた伎楽の面や衣装などの模造も展示されます。鮮やかな色彩でよみがえった天平の精華をご覧ください。
正倉院事務所蔵
『国家珍宝帳』記載の「螺鈿紫檀五絃琵琶」の模造です。原宝物は、螺鈿や伏彩色ふせざいしきを施した玳瑁たいまいで全面を埋め尽くすように飾った豪華な琵琶で、正倉院宝物を代表する優品として知られています。模造にあたっては、華麗な装飾はもちろんのこと、実際に演奏が可能な楽器として再現することを重視し、8年がかりで完成させました。
正倉院事務所蔵
酔胡王と呼ばれる役柄の仮面の模造です。酔胡王とは、酔ったペルシアの王のことで、劇中では多数の従者とともに登場し、酔っぱらった所作を演じたとされています。桐材を用いて高い鼻を強調した彫りの深い顔立ちを造り出し、原宝物では失われていた髭や色鮮やかな冠帽かんぼうが再現されています。
奈良時代の社会では、律令制と仏教による護国体制が敷かれました。宮廷では国の統治のための儀式がとり行われ、大仏を擁する東大寺では壮麗な儀礼と仏前への献物が盛んに行われました。正倉院に伝来した、年中行事に関わる儀式具、東大寺ゆかりの仏具や箱・几の数々は、こうした世相を背景につくられたものです。多様な素材・技法が駆使された品々は、たしかな技術と美意識に裏付けられた天平工芸の水準の高さを物語ります。
正倉院事務所蔵
正倉院には仏前に捧げる供物をいれた献物箱がいくつも伝わっています。それらは東大寺の諸堂塔に捧げられたもので、箱自体に貴重材を用いたり、華麗な装飾が施されました。蘇芳染めで紫檀風に仕上げたこの箱は、金銀泥の文様が不明瞭でしたが、模造によって宝相華ほうそうげ唐草のなかで奏楽する童子の姿が鮮やかによみがえりました。
正倉院事務所蔵
仏前で香を焚くための香合の模造です。蓋のつまみ部分が美しい五重相輪の塔形に造られています。模造の製作を通じて、塔には50枚以上の座金が用いられていることや、塔の各層に暈繝うんげん彩色やガラス玉の装飾が施されていることが確認されました。模造では原宝物ではほとんど失われている装飾を再現しています。
養蚕は今から約5〜6000年前に中国で始まったと言われています。やがて養蚕や絹織物は大陸の東西へと広がり、日本においても奈良時代になると全国的に養蚕が行われていました。絹織物の基本ともいえる平織りの絁あしぎぬ、綾、羅、そして複雑な文様を表した錦など多彩な織り技法による復元品をご紹介します。また『国家珍宝帳』の筆頭に記載された聖武天皇御遺愛の袈裟である「七条織成樹皮色袈裟」ほか袈裟に関わる一連の由緒ある品の模造をご覧ください。
正倉院事務所蔵
袈裟は、僧侶が衣の上に掛ける法衣のひとつです。宝物名の「七条」は袈裟の形式、「織成」は技法名、「樹皮色」は多色が入り交じる色合いをそれぞれ表しています。原宝物の色合いは2〜3種類の色糸を撚り合わせた杢糸もくいとを用いることで表現されており、模造では光学顕微鏡で細部を観察して復元しています。
正倉院事務所蔵
原宝物は、仏殿を荘厳する幡ばんに使われていた錦です。唐花文様は、中国から伝来し、奈良時代に盛行した文様で、最も正倉院らしい意匠のひとつです。緯錦ぬきにしきの技法で文様を織り表しています。幅が古代の通常の錦に較べて2倍(約115cm)の広幅で、天平期の高度な織り技術がうかがい知れます。模造の赤色は、皇居内の日本茜の根を用いて染めています。
正倉院宝物の種類はじつに多種多様ですが、なかでも鏡をはじめ薫炉くんろ・厨子・双六局などの調度品や、帯・刀子などの装身具は、その技術の高さにおいて宝物を代表するものと言えます。こうした宝物を、材質・形状・文様・技法等あらゆる面で忠実に再現することは、天平の工芸品の息吹をいまに伝えるだけでなく、後世の日本の工芸を発展させる原動力ともなりました。
東京国立博物館蔵
金平脱きんへいだつ、伏彩色ふせざいしきを施した水晶の嵌装によって、唐花や飛雲などの文様をあらわした華やかな箱です。原宝物は「 紺玉帯 」こんぎょくのおびをおさめていた「 螺鈿箱 」らでんのはこで、宝物中でも希少な漆地螺鈿のひとつです。 嚫 うちばりの表裂である色鮮やかな花卉文暈繝錦かきもんうんげんにしきは、経錦 たてにしきという古い技法で織られています。
正倉院事務所蔵
鏡背を七宝で飾った鏡の模造です。原宝物は、正倉院に伝わる鏡のうち唯一鏡胎が銀製で、また宝物中唯一の七宝製品でもあります。鏡背は大小計18枚の花弁を組み合わせて宝相華 ほうそうげ文様を表しています。花弁は銀の薄板に細かく砕いた色ガラスの粉末を盛って焼き付けたもので、それぞれ別々に造って接着されています。
正倉院は古代の武器・武具の宝庫でもあります。争乱の続いた奈良時代、正倉院から武器が出蔵されることもありました。55口残る大刀のなかには、装飾を凝らした儀仗用の大刀がある一方、実用本位の大刀も少なくありません。多数伝わる矢は、矢羽根の多くが失われていますが、模造により当初の姿が復元されました。武器・武具が示す華麗な装飾はもちろん、優れた機能美の世界をご覧ください。
奈良国立博物館蔵
明治8年(1875)、奈良博覧会社が正倉院宝物を模して製作した大刀・横刀のうちの1口です。原宝物の「金銀荘横刀」は、鞘全体に金銀の平脱へいだつ技法で唐草・飛雲・走獣の文様を表し、花文を線刻した金銅製金具を要所に配した装飾性豊かな作例です。把は沈香製。刀身は鎬造りで、反りのない簡素な形姿を示しています。
正倉院事務所蔵
『国家珍宝帳』記載の「金銀鈿荘唐大刀」の模造です。華麗な装飾から、聖武天皇が用いた儀仗用の大刀と考えられます。把は 鮫皮 さめがわで包み、鞘には 研出 とぎだし蒔絵と同様の技法で鳥獣や唐草を描きます。唐草文様の 透彫 すかしぼり金具には水晶やガラス玉を嵌めています。刀身は切っ先を両刃につくる様式で、盛唐期に流行しました。
奈良時代の役所は文書によって運用されていました。文書行政の実態は、660巻余り伝わる正倉院文書にうかがうことができます。正倉院文書は東大寺写経所が伝えた帳簿群が中心ですが、よそで不要になった紙の裏を使うケースが多かったことから、多種多様な文書が残りました。展示では多色コロタイプ印刷による精緻な模造によって、正倉院文書の全体像に迫ります。
国立歴史民俗博物館製作
正倉院事務所蔵
大宝2年(702)の御野国加毛郡半布里戸籍を収めた正倉院文書の模造です。原宝物は現存する最古の戸籍のひとつです。男性・女性にわけて3段に書き出す書式は、同年の西海道の戸籍と異なり、より古い時代の書式を残しています。なお、戸籍の保存期間後は反故となり、裏面は写経所の帳簿に利用されています。
国立歴史民俗博物館製作
正倉院事務所蔵
8世紀後半、東大寺写経所で働いていた写経生たちの休暇願いを集めた巻の模造です。休暇の理由はさまざまで、汚れた衣服を洗うためや、母の看病のため、あるいは神祭りのためと記されています。当時の人びとの仕事と暮らしの一端がうかがい知られる貴重な資料です。
正倉院宝物の復元模造の方法
主材は希少材の紫檀です。乾燥による歪みが生じないように養生期間を設けながら段階的に加工しました。装飾には夜光貝による螺鈿や、現在では輸入が禁止されている 玳瑁 たいまいが用いられています。国内の良材を確保して、約600枚にもおよぶ装飾部材を加工しました。様々な素材や技法が複合的に用いられているため、多くの作り手が連携する必要があり、完成までに8年もの年月を費やしました。